CRY

Twitterには長いやつ

KAI FIVE RED SUDDEN-DEATH TOUR

1994年7月7日(木) 福岡市民会館

 広島から福岡までも鈍行で6時間。本屋で「情報誌ふくおか」という「そのままやがな!」 とツッコミたくなるような名前の雑誌を買い、福岡市民会館を調べた。

 席は25番やから真ん中やと思ってたのに、端から3番目やった。1番左が21番で、 21番と22番は見えにくいためか客を入れてなかった。 
 その3列目25番の席に着こうとした時、信じられないことが起こった。イスの腰を 下ろす部分が、とれて床に落ちてしまったのだ。こんなことがあるのか。 
 警備の兄ちゃんに言うたけど、なおらなかった。それで、「はしっこになっちゃいます けど、こちらの席で・・・」と、22番の席にすわれと言われた。でも、端に移るのなんて嫌だった ので、「どうせずっと立ってるから」と言って、動かなかった。 
 それで、僕は開演30分前から立ちっぱなしやった。今夜は間違いなく、僕が1番先に 立った客や。 
 警備の人数は広島よりずっと多くて、やり方も全然ちがった。カーキ色のシャツの ボスらしい男が見まわって、そいつが足を踏み鳴らすと、警備員が気をつけをする。 なんでこんなに軍隊式なのか。 
 カーキ色は、開演直前に「一旦全員がすわらないとコンサート始まりませんよ」と僕に 言いに来た。偉そうな態度で、せっかくのライヴ直前にちょっと気分を害した。

 始まってみると、福岡のお客さんは思ったより静かやった。 
 それでも、やっぱり甲斐の地元らしいヤジがたくさんとんだ。「甲斐さん、博多へ 来たら「バス通り」やらなあ」とか、「バス通り」を演ってくれという声は何回かかかった。

 このツアーでも、いくつかニューヴァージョンの歌詞があった。代表的なのは「嵐の 明日」。「でも 君といるよ」と「ずっと 君といるよ」を入れ換えてうたうことがほとんどやった。 
 福岡では、すごいのがあった。「涙のアドレス」で、「ハイウェイのど真んな~か」と 歌ったのだ。「そら、いくら何でも危なすぎるで」と心の中でツッコミを入れてしまった。

 ツトムの歌は、だんだんよくなってる。ヤッチや武藤さんと笑顔を交わす余裕も出て きた。

 今夜も「影」はなかった。あれは1月にライヴがなかった大阪だけへのプレゼントだった のかもしれない。

 メンバー紹介。河野選手が岡八郎や平参平の動きをして、甲斐に「やめェ、それェ」と つっこまれていた。あんな吉本のギャグ、福岡の人たちはわかったのだろうか。

 もちろん今日も僕はノリまくってんけど、「翼あるもの」のとき、勢いあまって右隣りの 女性の、髪をくくってるところを振り上げた拳で直撃してしまった。彼女はアンコールの 間に席を立って、髪をなおしに行った。悪いことしてもうた。

 福岡で1番印象に残った曲は、「破れたハートを売り物に」 
 歌う前に甲斐が笑いながら、「今日昼間、中州の川のところを通ったら、何もしてない 大人がたくさんいた。平日の昼間だよ。働けよ!年に何回も祭りやるし。ほんとにもうこの 街の気質は・・・」と言うと、客席がすごくウケた。郷土愛という感じで、ほのぼのしたいい 雰囲気。 
 最後のチャンスとばかりにヤジもたくさんとぶ。「喜柳が待ってるよおー」というのも あった。 
 そんな中で曲が始まった。甲斐が何度も手であおったため、いつもに増して、超 大合唱となった。よかったあ!

 

1994年7月7日(木) 福岡市民会館

 

Fever 
幻惑されて 
激愛(パッション) 
絶対・愛 
TWO 
涙のアドレス 
君のいないこの街はまるで名も知らぬ街を歩くようだ 
ラヴ ジャック 
観覧車82 
青二才(ナイーヴ) 
月に泣く 
嵐の季節 
氷のくちびる 
翼あるもの 
風の中の火のように 
嵐の明日

 

どっちみち俺のもの 
~夜にもつれて 
~ランデヴー 
~報酬 
漂泊者(アウトロー

 

破れたハートを売り物に