CRY

Twitterには長いやつ

大森信和(甲斐バンド リードギター) 追悼文

 2004年7月、大森さんが亡くなった。

 信じたくなかったけど、本当のことらしい。

 何よりもまず思い出すのは、ROCKUMENT II。大森さんがゲストとしてアンコールに登場した。1996年6月。「Big Night」直前のことだ。 
 まずは甲斐と二人、イスに座って、アコースティックギターで「光と影」。 
 僕は甲斐友と一緒に、ステージ左真横に立っていた。ROCKUMENT特有の 、あのスペースだ。 
 「光と影」が終わった。拍手。ステージの左側で演奏していた大森さんが、 スタッフにギターを手渡して立ちあがる。大森さんがステージ左、つまり僕らの方を向いた瞬間、僕は「大森さあーーん!」と叫んでいた。無意識に。しかも、両手まで振って。これはライヴに通ってきた中で、自分史上最高にミーハーになった瞬間やったと思う。 
 前年1月の武道館、大森さんは体調をくずして、甲斐バンド再結成に参加でき なかった。だから、僕には1986年6月、「PARTY」の大阪城ホール以来、 久々の大森さんやったのだ。 
 思い切り手を振りながら、自分でもひどく興奮しているのを感じた。 
 「俺って、こんなに大森さんのことが好きやったんや」 
 自分の気持ちの強さに驚くほどやった。 
 そして、大森さんは、こちらの方を向いて、にっこり笑いながら会釈してくれた。めちゃめちゃうれしかったな。 
 エレキギターを手にした大森さんのソロが始まる。ブルースだ。たっぷり聴かせ てくれた。その音に酔いしれているうち、バンドの演奏が加わった。甲斐バンドの曲の 前奏や。始まったのは何と、「SLEEPY CITY」! 
 この「SLEEPY CITY」が素晴らしかったのだ。激しく、気持ちよく、 熱狂した。すごいしあわせ感があった。

 それから後、会場で叫ぶときは「大森さーん!」ではなく、「大森ーっ!」って 叫んだ。 
 甲斐より年上で、「大森さん」というイメージやねんけど、ライヴ中にはそう呼ぶのは他人行儀のような気がして。わきあがる想いに親しみと敬意を込めて、「大森ーっ!」と叫んだ。

 大森さんのあの笑顔。 
 反面、曲のフィニッシュでギターを右肩の上から大きくステージに叩きつける ようにした、激しいアクション。 
 「観覧車’82」の後奏で、最後にギターを立てて置く姿。 
 音楽をかみしめるように弾いている時の表情。 
 「破れたハートを売り物に」の間奏ギター。

 今年は甲斐のデビュー30周年。 
 きっとまた大森さんと会えると思っていた。 
 大森さんの参加がなかなか発表されなかったのは、入院なさっていたという事情からやったんかな。 
 こういうこともあるから、あらためて思う。甲斐たちの事情もわからないのに、文句を言ったりしない。重箱の隅を突つくようなあらさがしをしない。自分の好みと ちがうことがあっても、騒ぎ立てない。僕は「今」のファンでありたい。

 いつかこういう日が来ることを、考えたことがなかったわけでは、実はない。 自分の最大の趣味が永遠に楽しめるわけではない。ほんとに残念なことやけど。 
 そのことに思いをはせる時、なおいっそう自分の好きな音楽を聴きたくなる。 できるかぎり多く。できるかぎり深く。

 大森さんのステージを見ることは、もうできない。 
 しかし、大森さんの書いた曲、大森さんの弾いた音、大森さんの存在が、僕には 残っている。 
 大森さん、これからも僕は、大森さんの音楽を聴き続けていきます。 
 今までほんとうにありがとうございました。 
 心から、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

大森信和作品

 

光と影

くだけたネオン・サイン

スローなブギにしてくれ

25時の追跡

エコーズ・オブ・ラヴ

JOUJOUKA(ジョジョカ)

ロマン・ホリデー