CRY

Twitterには長いやつ

生大喜利振り返り日記 -3(2013年 リスナー会)

サードチャレンジが終わった。5upよしもとは、この年から煌システムに移行する。あんなに通った感覚があるサードチャレンジだが、僕が見たのは1年3か月だけだった。1日4公演とか土日2公演ずつとかだったから、数は見た気がする。

芸人さんが働くカフェに通って、お笑いの話を聴いたりした。

NSC34期の曜日別47ライブは続いていた。

 

投稿ではさらに、「ヤナギブソンの鎌首!」にメールするようになった。ヒューマン中村さんと三浦マイルドさんが出ていて、後にポイズン反町さんやハリキリちゃんさんたちも出る豪華メンバーだった。

R-1ぐらんぷりで三浦マイルドさんが優勝。泣いた。正月にも飲まなかったビールを飲んだ。

ファミマtheよしもとが始まった。

一方、3月末の「さよならワッハ」というライブをもって、ワッハ上方でのお笑いライブがなくなった。もう上方亭やレッスンルームで笑うことはできない。

 

毎週メールを送るラジオは「笑い飯の金曜お楽しみアワー」だけだったが、RGさんの「あるあるミュージックショー」という番組を知り、そちらにも送り始めた。僕が知った初回はプロ野球あるあると東京あるあるを募集していて、「西武黄金時代のスタンドに、吉永小百合さんいがち」というあるあるだけ採用された。ここから最終回まで毎回投稿することになる。すり身さんもたくさん読まれていた。自分の投稿で気に入っているあるあるは、宿あるある「別にどっちでもいいのに、引き出しに聖書入ってるか確認しがち」、天気あるある「昭和のアニメキャラ、オープニングで虹をすべり台にしがち」、富士山あるある「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りがち」

RGさんとは「あるあるバスツアー」でお会いした。ラジオを聴いて投稿してることを告げると、めちゃくちゃよろこんでくれた。バスツアーもサービス超満点だった。「ナツ命館大学あるある研究会」とか、RGさんのイベントはどれもすごい。

 

マダラを解散した運転代行EBARAさん(現花いちもんめ2・江原さん)がUSTREAM(江原さんはかたくなにユーストと略さなかった)配信を始め、初回の途中から毎晩のように朝まで見ていた。同じ大正の家に住むオモロ川だいすけさん、ディフェンスの要潤さん、ニッポンの社長・辻さん、おねえちゃんさん(現牛ペペ)、配信に出なかった へべれけ・澤下さんに代わって引っ越してきたローンガンメン・つーこさん(現ブービーバービー)、よく大正の家に来て配信に出ていた りっぺさん(現トロピカルマーチ)、えとちゃんさん(現トロピカルマーチ)、暴れ人(現ビスケットブラザーズ)あたりのみなさんには勝手に親近感を抱いている。

オモロ川だいすけさんの路上単独ライブにもよく行くようになる。環状線の駅全部で開催したりしていた。

 

三浦マイルドさん主催の「ZAZAピン芸人 VS 5upピン芸人」というライブが最高だった。

そして、新宿のシアターブラッツに見に行ったヒューマン中村さんの東京初単独ライブがものすごかった。全部のネタが爆発的にウケていて、笑い声がおさまらずヒューマンさんの声が聴こえなかった場面も数回あった。かつて小林信彦「日本の喜劇人」などで読んだ、芸人さんが大きく羽ばたくきっかけとなった伝説のライブを、初めてこの目で見たと感じて震えた。あれは演芸史に残る一夜だと思っている。

 

いろんな場所のお笑いライブに行きまくる中で、10月に再びアマチュアの生大喜利大会を見に行った。第5回大喜利鴨川杯だ。

土曜日開催で、朝から煌オーディションとスパンキープロダクションの昼寄席を見てから、Twitterで鴨川杯のアカウントに今からでも見学可能・途中抜けも可能という旨を確認したうえで、茨木市クリエイトセンターに向かった。

予選が終わって第2部が始まる頃に着いた。席に座ると、調子が悪かったらしいカーテンだかブラインドだかが無事に動いたということで、スタンディングオベーションが起こった。こんな芸人さんの団体芸みたいなノリもするのか。人数も多いし圧倒されながら、僕も立って拍手をした。

僕の記憶違いでなければ、敗者復活戦ですり身さんがカップラーメンを食べていた気がする。

R-1ぐらんぷりでアマチュアながら上の方まで勝ち上がっていた、発光ダイオードの人がいて驚いた。

女性のそばにいる大きな男の人が大きな声で話していたが、あれはスズケンさんだったのだろうか。

戦以来1年半ぶりに見れた人もいた。名前だけは知っていた方々の大喜利も初めて見れた。シンプルな答で個性を出す方や、独特の味わいの答を出す女性も印象的だった。

仕事で最後までいられなかったが、見た中で一番好きだった答は、たけしの画像お題でのごうわんさんの弾回答だ。悲しいなぞなぞお題の、たけのくちさんの弁当回答も大好きだった。

鴨川杯は、今までにいろいろと見てきた芸人さんの大喜利ライブとは大きく違うと感じた。みなさん、他の人の答にかぶせない美学を持っているように見えた。自分の作品を創る誇りというか。そこがめちゃくちゃかっこよかった。見に来たお客さんを絶対に笑わせるというプロの芸人さんの職人っぽい大喜利ライブももちろん大好きだが、アマチュアの方々の作家的に見える大喜利もものすごく魅力的だ。

しかし、鴨川杯で見たような生大喜利を、自分ができる気は全くしない。言い方や声など、難しい要素が多い。自分の前に出した人の答やウケ方にも左右される。第一、みなさん考えるのがめちゃめちゃ速い。そして、すごく面白い。

マチュアの方々の大喜利を見るのはまだ2回目で、的外れなところもあるかもしれないが、以上のようなことを茨木市駅へ歩きながら考えていた。

僕には無理だ。やはり、ラジオの方が向いている。

 

笑い飯のラジオでは、順調に大喜利の答が読まれていた。

MBSラジオ祭りにも行った。

そんな11月、ラジオのリスナー会というものに誘われた。リスナー会の存在は、「笑い飯の金曜お楽しみアワー」で聴いたことがあった。関西のラジオ好きが集まり、番組ゆかりの芸人さんが来たりもするという。

参加すると連絡した後、「せっかくだからみなさんで大喜利をしませんか?」という話も来た。鴨川杯を見て、自分に生大喜利は無理だと痛感してからひと月もたっていないのに、僕は大喜利をすると返事してしまった。

 

リスナー会は11月末だった。

緊張したが、ゲストとしてオモロ川だいすけさんが来ていて、だいぶ落ち着いた。

笑い飯のラジオのファン以外に、天竺鼠のラジオに投稿しているという「4姉妹」や、麒麟ファンの真冬にタオルケットさんも来ていた。主催は魚飯さんときらさん。そして、ひらたいさんが来ていた。ひらたいさんはたびたび、「一〇八問一〇八答大喜利」というネット企画をPRしていた。

大喜利には最初少しだけ芸人さんも参加したが、ずば抜けた面白さだった。そして、大人気。ライブの告知をして早めに帰られた。

途中からグッピィー・梢さん、ろぱ仔さん、まる子さんも来られた。僕はリスナー会に来る前、大正区焼肉屋さんで「情熱ライブ」を2部とも見てきていて、そこに出られていたグッピィー・梢さんが見ている前で大喜利をするのは変な感じだった。グッピィー・梢さんとはもちろん、「ダイアンのよなよな」でグピこずとして大旋風を起こし続けた、後のグッピーこずえさんである。

 

大喜利初体験。

会議室の前に5~6人が並んで、1ブロック2題で行われた。1題5分以上あった気がする。僕のブロックにはひらたいさんがいた。

1問目は「大阪市営地下鉄が遅れたら、どんなことが起きる?」みたいなお題。僕の1答目は「橋下市長がディスられる」。弱いと思うし、今ではあまりやらない時事みたいな答を出している。でも、みんな優しいので、少しだけ笑いがあった。終盤に「モグラが本気出す」という答を出したところ、いぶのすけさんとモグラがかぶった。「このタイミングでモグラかぶる?」とひらたいさんが言ってくれたが、僕には返事をする余裕がなかった。答よりもかぶったことが少しウケ、いぶのすけさんに会釈した気がする。他の答は覚えていない。2答しかできなかったのかもしれない。

2問目は「大阪に帰ってきたなーと思う瞬間とは?」みたいなお題。僕は「エスカレーターでみんなが右側に立ってるのを見たとき」みたいな答を出した。すると、あんなに温かい雰囲気だったのに、シーンとなった。時が止まる程スベった。でかした!グッサンさんが、「それ大喜利かあ?」とツッコんでくれて、助かった。僕は質問に答えただけで、ボケていなかった。その後は、隣の会議室から音がしていたのを使って、「雅楽が聴こえたとき」と楽屋オチっぽい答でお茶を濁した。ひらたいさんが優しくツッコんでくれた。

勝ち上がりが決められたが、1答ずつ採点された覚えはないので、たぶん印象式だったのだと思う。僕は当然予選落ちだ。

僕にとって最も印象的だったプレイヤーは、富と名誉さんだ。じっくりと考えて、強い答で爆笑をさらう。こんな大喜利ができたらいいなと感じた。

敗者復活戦もあったが、「BKB」をモジったお題だったか、自分がそういう答を出しただけだったか、思い出せない。2回目に前に出たときは緊張がましだったように思う。が、もちろん勝ち上がっていない。

優勝は、下ネタ回答でよくウケていた、途中参加のジャスティスKさんだった。

 

初めての生大喜利は、予想通り苦い結果だった。

打ち上げで魚飯さんに、「大喜利をよくやっている人から、『あー、初心者が出しそうな答』とか『ああ、そういう答、2年前に俺たちの間でよく出てたわ~』みたいに思われないか不安だった」というようなことを言って、「みんなそんなに厳しくないですよ」と言ってもらった。魚飯さんの言う通りだと、今はわかる。

大喜利でスベっただけでこんなに落ち込むのに、時間をかけて考えてつくって練習したネタが評価されなかったらどんなにキツいだろう。改めて芸人さんの大変さ、すごさに思いが馳せられた。

この日は朝まで、オモロ川だいすけさんにカラオケに付き合ってもらった。

 

12月。2つ目のリスナー会に行った。リスナー出身の芸人さんもいた。

早く着き過ぎたようで、他に早く来ていた人に何気なく「ラジオをやってほしい芸人さんっていますか?」と聞いたら、「ダイアンです!」と即答された。

後で集まった方々に聞いても、ダイアンという声がダントツだった。ダイアンって、漫才が面白いのは知ってるけど、ラジオもそんなに面白いのか。

ジャスティスKさんが来た。またもや大喜利大会で優勝されたとTwitterで見たのでお祝いを言うと、「そんなすごくないです。慣れてるだけなんです。やったらできますよ」と言われた。そのときはやはり、自分にできるとは思えなかった。