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生大喜利振り返り日記 -5(2011年 笑い飯の金曜お楽しみアワー)

大喜利(実際に集まって行う大喜利。たいていホワイトボードを使う)に行ったときのことを振り返って書こうと思う。

これまでは大喜利大会・大喜利会に参加したとき、自分の結果などを140字以内でツイートするだけだった。でも、YouTubeに毎日アップされる木曜屋さんと脳髄筋肉さんの「関西生大喜利回顧ラジオ」がとても楽しいので、その影響です。

 

2011年。本格的に生大喜利を始める2016年の5年前。

 

夏の夜遅く。たまたまつけたTVで小籔さんがしゃべっていた。これがめちゃめちゃ面白かった。「祇園笑者」という新番組らしい。やっぱり芸人さんって面白いなあ。

それで、成人の日に録画したままだった「ABCお笑い新人グランプリ」を見た。昔から大好きな大会で、2002年には観覧もした(優勝:レギュラー)が、ネットで優勝者のネタバレを見てしまって、すぐに見る気にはなれなかったのだ。

その年のABCは、優勝したウーマンラッシュアワーも面白かったし、尼神インターも印象に残った。ミルクボーイも出ていた。

そんな中でも、決勝に出ていない若手のネタコーナーが、めちゃくちゃ面白かった。今思えば、ヒューマン中村さん、おいでやす小田さん、シャングリラ(現ダンシングヒーロー+山本晶子さん)が出ていたのだから当然だ。ミサトさんも強烈だった。

決勝に出ていない人がこんなに面白いのだから、劇場には面白い芸人さんがもっとたくさんいるはずだ。今年のお盆休みは劇場に行ってみようか。

 

僕は大学に入る頃から映画館に通いまくっていた。その後、野球場に通う数が上回るようになる。プロ・二軍・高校・大学・社会人・独立リーグなど、全国大会から練習試合まで何でも行った。広島市民球場とかロッテ浦和球場とか四国銀行グラウンドとか、遠征もした。

本来ならお盆休みは、朝から甲子園で高校野球を見た後、神戸でプロのナイターを見るのが基本だ。しかし、この年は、関西でプロ野球が行われるのがお盆休みの半分しかなかった。関西にパ・リーグが2チームあった頃は、こんなことはなかったのだが。

 

そういうめぐりあわせで、お盆休みにお笑いの劇場に行く。とにかく行ってみたいから、何でも日程が合うものに行く。まず今はなき京橋花月の「桜 稲垣早希のセンパイと遊ぼう」というライブに出かけた。ゲストは出雲阿国さんで、お嬢様学校での話など面白かった。終盤、アイドルっぽい人たちが出てきた。当時は知らなかったが、キンチャク率いるつぼみ(現つぼみ大革命)だった。キンチャクは2人組で、そのうちの1人が後に「ダイアンのよなよな」でブームを巻き起こす安田由紀奈さんだ。

 

次に行ったのが祇園花月。映画バカ時代によく来てた名画座祇園会館だった建物で、感慨深い。大晦日祇園会館で2本立てを見て、一年の映画鑑賞を終えることが多かった。

初の祇園花月で見たのが、南海キャンディーズ・山里さんがNSC30期の芸人さんを紹介するライブ。あの尼神インターも出ていたし、アイロンヘッドも初めて見た。何かあったらカバと爆ノ介・爆ノ介さんが呼ばれて蹴りを見舞う流れになった。

 

9月に入ってからもいろいろ行ってみた。

コントグランド花月で初めて見た天竺鼠がめちゃめちゃ面白かった。

京橋花月の「秒殺」オールナイトが最高だった。天竺鼠・川原さんも出ていたし、ヒューマン中村さんの一言ネタが素晴らしかった。

そしてついに、ヒューマン中村さんの出るピン芸人トーナメントライブを見るために、初めて5upよしもとに足を踏み入れた。二丁目劇場とbaseよしもとにも少しだけ行ったことがあったが、やはり女子高生とか向けなのかもという思いもあって、尻込みしていた。でも、ヒューマンさんを見れるならと。ピン芸人トーナメントは、大ウケ続きだったハクション中西さんを決勝でかわして、守谷日和さんが優勝した。守谷さんは大よろこびで、終演後の場内を踊るように駆けて行った。このイベントのMCは和牛・川西さんだったが、僕はずっと太平かつみさんだと思っていた。

阿佐ヶ谷姉妹変ホ長調のライブを見たのもこの月。

 

10月最初の週末、5upよしもとのオーディションライブ「サードチャレンジ」に初めて行った。日曜昼のオーディションライブはbaseの頃から気になっていたが、なんでもっと早く来なかったのかと思うほど面白かった。以後、仕事や特別な事情がかぶらないかぎり、「サードチャレンジ」に通うことになる。

京橋花月の「ダイナマイト岩橋」は、その時点で見たお笑いライブの中でいちばん面白かった。当時のメモには、「笑い死ぬんちゃうかと思うほど迫力ある」と書いてある。

 

こうして僕はお笑いの劇場に通い始めた。5upと同じ建物にあったワッハ上方の年間パスポートも購入し、4階の上方亭と7階のレッスンルームにもよく行った。週末はなんばに向かい、仕事のない日曜祝日は5本ぐらいライブをハシゴした。

大阪市内で生まれたこともあり、子供の頃から年に2~3回は花月に行ったり、土日にずっとお笑い番組を見たりはしていた。大人になってからも、R-1の予選を見たり、東京に行けば末廣亭で落語を見たりした。でも、こんなに通うのは初めてだ。もっとも、平日も5upに行く女性ファンなら、もっとたくさん見ているはずだ。

 

そんな秋の日、「サードチャレンジ」で見ている芸人さんがラジオに出るという情報を得た。「笑い飯の金曜お楽しみアワー」という深夜番組に、尼神インター、カーニバル、ブランチの3組が出るらしい。

それを聴くためにラジオを買った。まだradikoがなかった頃だ。

番組HPを見ると、「とれとれ5本市場」という大喜利コーナーもあるらしい。せっかくだから投稿することにした。

大喜利は、「ケータイ大喜利」を見ながら何度か送ったことがあった。が、全く読まれなかった。お題が出るとすぐに答が紹介されるので、「事前にお題を知らせるシステムとかあるのかなー」とか思いながら、送らずに見るだけになっていった。

 

「とれとれ5本市場」のコーナー。その週のお題は、「童謡『四季の歌』、 ♪秋を愛する人は…… 続きを考えてください」

「ホクロ黒き人」という自分の答が読まれた。めっちゃうれしい。

ラジオなら読まれるのかもしれない。次週のお題も発表されたが、答を思いついた。来週も送ってみよう。

 

それから毎週大喜利の答を送った。

番組ではその頃、ランディーズ・中川さんのかしみん焼き「はこ」、哲夫さんと吉竹アナウンサーの恋?、常連ハガキ職人・でかした!グッサンさんが放送作家になるかも、というあたりが話題だった。

大喜利では、すり身さん、煮え湯500杯さん、モヒカンさん、ジャスティスKさん、フンコロガシコロガシさん、お湯さん、ぶっ飛んだ答のシトサマさんたちが毎週のように読まれていた。

 

2週目に送った大喜利の答は読まれなかった。次の週も、また次の週も。

たまにテーマメールが読まれるぐらいだ。

とうとう2011年が終わるまで、大喜利の答は読まれなかった。その間、すり身さんたちは読まれ続けている。最初に採用されたのは、完全にビギナーズ・ラックだった。