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甲斐バンド BEATNIK TOUR 1984 FINAL

1984年12月5日(水) 大阪城ホール

 

 高1の冬、僕は初めて甲斐バンドのコンサートに行った。プレイガイドで取ったチケットを持って。1人で。 
 甲斐バンドを好きな奴はクラスに何人かいたが、コンサートに行くほど熱狂的な奴はいなかった。というか、コンサートというもの自体に、行ったことのない奴がほとんどやったと思う。僕も、まだ16歳になったばっかりやった。

 大阪城ホールへ行くのも、初めてやった。開場前から並んで、中に入る。 
 僕の席は、スタンドの上の方。ステージ向かって左側。遠い。これでほんとにS席なのか。Sはスタンド席の略で、Aはアリーナ席の略だったのではないかという疑問がわいて来る。今思うと、幼いなあ。 
 シートの上には、他のコンサートのチラシといっしょに、甲斐バンドの機関紙「BEATNIK」の購読案内や、「野獣」のステッカーがのっていた。「野獣」は当時の新曲である。 


 まだ明るいホールの中に、早くも「甲斐ーっ!」の声が飛び、雰囲気が高まってくる。

 どの曲をやってくれるのか、予測がつかない。唯一の手がかりは「THE BIG GIG」のアルバムである。その頃までに4枚のライヴアルバムが出ていたが、「GOLD」以降はコンサートの内容が変わって来てるみたいやったし。それに、この84年は1枚もオリジナルアルバムが出なかった年だったのだ。 
 とすると、やっぱり1曲目は「ブライトン ロック」なんかなあ。

 

 甲斐の登場の仕方が鮮烈やった!イントロに乗って、ステップを踏みながら姿を現した。舞台左手から。 
 そして、そのイントロは、まさかまさか、僕の1番好きな曲、「ランデヴー」ではないか!むっちゃ好きやってんけど、ライヴアルバムにも入ってないし、目立たない曲やと思ってた。それをオープニングでやってくれるなんて!!ライヴで初めて聴いた曲が、「ランデヴー」。もう、大感激!1曲目だけで僕は完全に打ちのめされた。

 

 2曲目のイントロで会場はすごい盛りあがり。甲斐がマイクスタンドを振り廻しているようだが、よく見えない。これが、僕が最初に見た「ダイナマイトが150屯」だ。 
 後奏では一旦、ステージが暗くなる。そして、印象的なフレーズのところで甲斐にライトが当たる。光に映し出された甲斐は、マイクスタンドをぐるぐる廻している。ここでものすごい大歓声。 
 この2曲の流れがめっちゃよかった。考えてみれば、「破れたハート・・・」のアルバム通りの曲順やった。

 

 「今夜も最後まで、目一杯やるからね」 
 MCに続いてニューシングルの「野獣」。その次に、1つ前のシングル、その年の夏に出た「フェアリー(完全犯罪)」。 
 続く「ボーイッシュ ガール」では、長い間奏で甲斐が動きまわる。左右に長く突き出たステージの先までやって行く。左の先の方は、僕の席からは死角になってしまう。僕は甲斐の姿を見るため、この時初めて立ち上がった。後ろの方だからか、周りは静かな客が多くて、僕もずっとすわっていたのだ。

 

 「ナイト ウェイヴ」が終わると、メンバーたちが去って行く。ステージには、甲斐とキーボードだけ。生ギターとキーボードで歌われた曲は、「荒野をくだって」。これは、よかった。

 

 バラードが続く。「BLUE LETTER」。 
 広い大阪城ホールに甲斐の歌が響く。1万人以上、人がいるけれど、声を発しているのは甲斐1人だ。 
 大阪城ホールの「BLUE LETTER」は特別いい。もう1度あの感覚を味わいたいなあ。

 

 キーボードのきれいなイントロに、はじかれたように僕は立ち上がった。「シーズン」や。全く意識してなかったのに、自然に体が動いてた。ここからはずっと立ちっぱなし。 
 そして、「嵐の季節」の大合唱。これもすごかった。

 

 MCの内容で覚えていることを書いてみる。

 「「野獣」の12インチシングルのジャケットは、メンバーが他のメンバーを噛んでるというので。身体の中で腕のところの肉が1番伸びるらしくて。僕が大森信和の腕を噛んで。田中一郎は僕の腕を、リーダーだからちょっと遠慮があるかなとか思ったらそんなこと全然なくて、思いっきり噛んでくれる。4人ならぶと、1人だけ噛まれっぱなしっていう奴がでてくるわけだよね。で、誰にするかっていう話になったときに・・・やっぱり松藤しかいないだろうと」 
 思えば、松藤に関するジョークはこの頃すでにあったのだ。

 「来年の3月に、アルバムを出してツアーをする。それが終わったらもう、半年以上コンサートはやらない。だから、もしよかったら、次のツアーに来てほしい」 
 もちろん僕は、翌年のラヴ マイナス ゼロ ツアーにも参加している。

 「大丈夫?このホールはあの辺(ステージ真っ正面のスタンドを示して)が1番キツいんだよね。音のかたまりがまともに向かって行くんだ」 
 これには、正面スタンドの客たちが大よろこびで応えていた。

 「何も1万人でクラッシック歌うのだけが能じゃないだろう。武道館と同じように、ここでも毎年コンサートをやって行きたい」 
 そう、大阪城ホールで最初にロックコンサートを行ったのも甲斐バンドだったのだ。すでにこの前の83年にもコンサートを開いている。

 

 「新しいアルバムからの曲をやるからね」 
 始まったのは、すごくかっこいい曲。これは絶対に売れると思った。ライティングもすごい。 
 それが「冷血(コールド ブラッド)」だった。 
 ここで次に「マッスル」や!会場じゅうが熱狂。この頃、最も人気が高かった曲と言ってもいいだろう。 
 「氷のくちびる」から「ポップコーン・・・」。「翼あるもの」、「漂泊者(アウトロー)」という黄金メニューに興奮しまくり。 
 「一人ぼっちじゃあ やりきれないさ」と歌った甲斐が、いろんなアクションを見せながらステージを降りる。大森さんや、一郎、松藤らが激しいプレイを続ける。FIVEとも現在のヴァージョンともちがう、甲斐バンドの「漂泊者(アウトロー)」。当時は、あのヴァージョンしか考えられなかった。

 

 アンコールのとき、近くの女が文句を言っていた。 
 「「HERO」やれへんなんて、客に失礼やと思うわ」 
 僕はめちゃめちゃ腹立った。「甲斐バンドはヒット曲に頼らんでもすごいコンサートができるバンドなんじゃあっ!」と、どなってやりたかった。いつの時も、いちゃもんをつける輩はいるものだ。

 

 アンコール1曲目。おお、やってくれたか!何度も何度もライヴアルバムで聴いた、あのイントロ。 
 「きんぽうげ」。 
 またむちゃくちゃ盛りあがる。さっきの女もよろこんでいる。 
 そこへ、甲斐の言葉。 
 「みんなもっと歌えるのやるから。「裏切りの街角」」 
 あっちこっちから悲鳴のような歓声があがる。もう何年もやってなかったはずやもんなあ。例の女も大はしゃぎ。 
 激しいイントロ。レコードとはかなり違う。「これがほんまに「裏切りの街角」?」とみんなが思い始めた頃、あの例のフレーズになった。また歓声があがる。 
 みんな、「ああやっぱり「裏切りの街角」や!」と安心したかのように手拍子をはじめる。それから、大合唱。

 

 アンコールの最後は「観覧車82」。 
 後奏にのって、甲斐が舞台右端へ。客席に向かって、手を振ったり、掲げた手を振りおろすと同時におじぎしたりする。舞台右、右中間、真ん中、左中間、左とそれぞれ立ちどまって、オーディエンスに感謝の念を表す。 
 初めて見る僕は感激した。うれしかったし、かっこよかった。

 

 2度目のアンコールがあったことにも感激やった。ほんまにうれしかったなあ。 
 きっと、「破れたハート・・・」やんねやろうなあと思っていたが、ちがった。 
 歌われたのは、再び、しかし別テイクの「野獣」やった。後奏で甲斐が吠える。と、その声が何度もこだまする。あの声は印象に残っている。

 

 マイクスタンドが並べられ、やっぱり最後は「破れたハート・・・」。甲斐と松藤がならんで立つ。松藤というと、メンバー紹介のとき、スティックを客席に投げ入れたのが恰好良かったよなあ。 
 「BIG GIG」のアルバムと同じ様に、この歌をみんなで歌えたのがうれしかった。

 

 余韻に震えつつ通路に出ると、高校生らしきグループが「スリーピー シティイーッ!」と叫んでいた。 
 ユニフォームをそろえている集団も多い。背中に虜と入った皮ジャンの人たちが「「嵐の季節」よかったなあ」と、しみじみ話していた。 
 僕も、「ランデヴー」の興奮から順番に、その日のステージを思い返しながら帰路についた。 
 家の近くの駅の構内を歩いているとき、頭の中で「冷血(コールド ブラッド)」が流れていたのを、なぜだか今でもはっきり覚えている。

 

 

1984年12月5日  大阪城ホール

 

ランデヴー    
ダイナマイトが150屯    
野獣    
フェアリー(完全犯罪)    
ボーイッシュ ガール    
ナイト ウェイヴ   
荒野をくだって    
BLUE LETTER    
シーズン    
嵐の季節    
冷血(コールド ブラッド)    
マッスル    
氷のくちびる    
ポップコーンをほおばって    
翼あるもの    
漂泊者(アウトロー

 

きんぽうげ    
裏切りの街角   
観覧車82

 

野獣    
破れたハートを売り物に